恒例(?)の秋の遠足、福知山で嫁とデートしまして、いろいろと感じることもありましたので、ちょっとレポートしてみます。かなり長くなりそうなので、お時間のある時にお読みいただければと思います。
なぜ福知山なのか
数日前に仕事で車で移動しているときに、たむけんがいきなりツアーのやつで城下町を訪れていたのですが、その「城下町」という響きに惹かれ、「城下町 京都」などとググってみましたのです。
すると、「京都カルチャー観光1000」というサイトに出会い、そこでさらに城下町と検索すると、
「城下町を歩く」福知山城、御霊神社、治水記念館など明智光秀の功績を巡り、歴史と文化あふれる城下町をお楽しみいただけます。所要時間 4時間(徒歩) 距離:約6km
というのを見つけました。
そのほかの案としては、京都の東寺で五重の塔が、塔内を開放しているという情報もあったので、東寺の案もありましたが、そもそも福知山という名前は知っていて、まったく未知の場所だったので、福知山に行くことになったのです。
当日の朝、小学生の息子が学校に行ってから、急いで準備をして、車に乗って福知山へ向かいました。
車で福知山駅へ
舞鶴若狭道を走っています。ところどころで紅葉もありました。こういう緑の中を走るのは快適です。
福知山駅につきました。これは駅の南側です。
駅の南側に、機関車(本物?)がありました。なぜ機関車があるのか、あとになってわかりましたのですが・・・。
これを見て、私の世代が想像するのは「北斗神拳」なのですが、
「そんなん絶対書いたらあかんで!アホやと思われんで」
と嫁に言われましたが、アホなので書いておきます(-_-)
御霊神社へ歩く
徒歩の距離約850m
Googleマップで確かめて、福知山駅から「御霊神社」へ向かいました。
なんとなく昔は栄えていたのではないか、というような様子のちょっとした商業地域をぶらぶらと歩きました。おそらく営業してないであろうスナックビルなどもありました。そのスナックビルが繁栄していたときのことを想像すると、ちょっと寂しくなります。
女の子が一人お参りしていました。お参りの後に神社をぶらぶらすると、学業の祈願もできることが分かったので、きっと受験のお願いに来たのだろうと、ちょっと応援したい気持ちになりました。
これは御霊神社の裏口です。はじめに到着したときは、実はこれを表の入り口だと思ってしまって、ココから入ってしまいました(-_-;)
(なんとも風情のある入り口だなあ)
とおもって入ったのが裏口だったとは。
写真をうっかり取り忘れていましたが、御霊神社の入り口には、過去に水害で浸水した高さを示すものがありました。相当な高さ(一戸建ての2階以上)まで浸水したことを示すものでした。その時は「へー」と思っただけでした。
高良厄除神社へ向かう
徒歩の距離約950m
今度は高良厄除神社へ向かいます。
道中は住宅地を歩いていきました。なんか車屋さんが多かった印象です。
高良厄除神社に到着しました。
こちらでもお参りしました。
治水記念館へ向かう
このあたりから、だんだんと福知山のことがわかってきたような気がします。
こういう古い街並みを歩いていきます。
写真を撮っては、
「インスタ映えするなあ」
などと言っておりました。ちなみに私はまだインスタはしておりません(-_-)
これはほんの一つですが、お寺がものすごく多かったです。なになに宗なになに寺と歩けば寺に当たる状態でした。
このお寺には、「トイレの神様」があると書いてありましたので、本来の行き先ではなかったのですが、あのトイレの神様か?」と思いながら入ってみることにしました。
中には七福神様が祀ってあり、恵比須様のところには、1度なでると○○、2度なでると○○、3度なでると○○と書いてありましたので、お賽銭を3回入れて、3回撫でてきました。
写真はなんとなく撮ってはいけない気がしたので、撮りませんでした。
トイレの神様は、トイレ(男女兼用)に行くと、入って正面に神様が祀ってありました。トイレをしようかどうか迷いましたが、なんとなく神聖なところにおしっこをひっかけるみたいなので、夫婦ともに遠慮しました。
そして、また元のルートにもどり、治水記念館を目指したのですが、行く途中にまたいくつかお寺がありましたが、全部寄っていると時間がなくなりそうでもあったので、スルーしました。
治水記念館に到着!
書いてある通り、手であけて入っていきました。
中に入ると、骨董品の品々がありました。
これは「提げ重」というらしく、古いお弁当箱らしいです。昔の人は着物を着てこれをもってピクニックに行ったのか、と想像しました。
黒電話と蓄音機。左のダイヤル式の黒電話は私の古い実家にもありました。
これを見始めたころに、この治水記念館の係をしておられるらしき”おばちゃん”が出てきました。ぼくらはこの道具や、昔の教科書などが置いてあったので、そちらに興味を惹かれていたのですが、おばちゃんはいろいろと説明をしてくれます。
(これはもしかして、ゆっくり見れないパターンか・・・)
と少々あきらめつつ、おばちゃんの話を聞いていましたのですが、聞いていくうちに、ものすごく「なるほど」と思うことと、おばちゃんが伝えたいことを理解できるようになってきたので、そのよくしゃべるおばちゃんのことをだんだんと「とてもいいひと」と思ってきました。
おばちゃんは失礼だと思うようになったので、この後からは「奥様」と呼ばせていただくようにします。
奥様が説明してくれたことを写真を交えて書いていきます。
奥に入るといきなり、こんな装置があります。
奥様がおっしゃるには、この家は実際に使われていた家らしく、この地域でこの装置があるのは、特に珍しいわけではないそうです。
「治水記念館」の”治水”の意味がこのあたりからだんだんとわかってきたのです。
タカと呼ぶ装置だそうです。
福知山は昔からすぐそばの由良川が大雨で氾濫することがしょっちゅうで、氾濫するたびに床上浸水するため、1階の荷物をこのように滑車に吊り下げて引っ張ることで2階に持ち上げ、浸水したときにも家財が水に浸からないようにしていたそうなのです。
天井には滑車があります。これは鉄製ですが、昔は木製だったとのことです。
上から見るとこんな感じです。ロープの左に置いてあるのが、木製の滑車です。
何度も何度も水に浸かったのにも関わらず、現在まで存在しているこの家になぜか私も愛着がわきました。
2階に上がりました。昔のおばあちゃんの家を想像させてくれる、落ち着いた感じの室内です。
これは2階にある、7分ほどのドキュメント映像のコーナーでしたが、雨が降って水に浸かり、家族全員が2階に逃げ、さらには屋根に棒で穴をあけて、屋根の上に逃げて水がおさまるのを待つ、という状況をドラマのように見せてくれました。
雨が降り出して、水が浸かった状態で一夜を明かさないといけないという場合には、はやくにご飯を炊いておにぎりを作り、二階にもって上がって一夜を過ごす、といった様子もこの映像を見て知ることができました。
実際に水害で水に浸かったときのふすまだそうです。2階のふすまの真ん中あたりまで浸水した証拠です。
ふすまが平成16年のときのものかどうか聞いてはいませんが、実際に浸水するとこんな感じに川が氾濫し、街に水が浸かってしまっています。
そこで奥様が説明してくれたのが、明智光秀の功績です。
写真の青い点々のところが元の川の位置なのですが、明智光秀がその流れを一直線に変え、氾濫するところに堤を築いたそうです。
主君を裏切って謀反を興した悪者と思われることの多い「明智光秀」ですが、このあたりでは明智光秀は英雄だそうです。
奥様は、
「みんな明智光秀を悪く言うけど、そんな悪い人じゃないんですよ」
とおっしゃっていました。織田信長に福知山をおさめるように命令をうけてから、この街を水害から守るために知恵を絞ったようです。
私自身も、「謀反をおこした悪者」とごくごく一般的な明智光秀の印象を持っていましたが、その土地に足を踏み入れ、その土地のことを知るうちに、だんだんと明智光秀の印象が変わってきました。
切り口が変わると見方が変わり、違った一面を知るとまた見方が変わる、そんな体験をしました。明智光秀のことを話される奥様を見ていると、まったく悪者の印象がなくなってしまいました。
そんな貴重な話を聞けたにもかかわらず、治水記念館の入場料は無料!ものすごく価値のある体験をさせていただきました。そして、福知山が好きになり、
「がんばれ福知山!」
と思う気持ちが芽生えました。
奥様、いろいろと教えていただいて本当にありがとうございました!
そのほか、
これは蔵(くら)なのですが、蔵の位置が高い位置にあります。これも水害から財産を守るための地域の知恵なのですね。
前編と後編に分けさせていただきます。
一回分で全部書いてしまうつもりで意気込んでいたのですが、あまりに長くなり過ぎたので、続きは後編にさせていただきます。
もしも続きを読んでいただけるならば、またぜひ”きくまるブログ”へお越しください。
よろしくお願いいたします。
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